0歳〜3歳

「未来が不安だった日と、今のわたし」

娘が2歳の誕生日を迎えた日、主治医から「典型的な自閉症です」と告げられました。
将来が不安でたまらず、毎日のように「この子は大丈夫だろうか」と自問自答していた頃のこと。
あれから20年。今、私はどんなふうに感じているのか。
昔の自分に伝えたいこと、そして今の“私たち”のかたちを、正直な気持ちでつづります。

2歳で告げられた「自閉症」の診断

2歳の誕生日。
主治医から「典型的な自閉症です」と診断された日。
あの日は、とにかく不安しかなかった。

この子の将来、どうなるんだろう。
ちゃんと生きていけるのかな。
私が死んだあと、この子はどうするの?

そんなことばかり考えて、精神的におかしくなりそうな日もあった。
「なんでこんなに先のことばっかり考えてるんだろう」って、自分にイライラすることもあった。

20年後の“今”に思うこと

あれから20年。
できたことも、できなかったこともある。
それでも、娘はちゃんと生きてる。
最近は、いい笑顔を見せてくれる時間が多くなった。

昔は“普通”とか“正解”ばかり気にしていた。
でも今は、それより「この子らしく生きる」ことのほうがずっと大事だと思える。

自分でできることが増えてきた娘の姿

たとえば。
言葉は話せなくても、お腹が空いたら味噌汁のお鍋を見つけて、自分でよそって食べる。
ごはんも、自分で入れられる。
お茶も、冷蔵庫から出して飲める。

…食べものさえあれば、生きていけるじゃないか!笑
(お湯が沸かせないから、ラーメンはまだ無理だけど)

未来への不安は、今もある

未来のことは、今もやっぱり不安になる。
でも、先のことばかり見ていたら、目の前の娘をちゃんと見てあげられない。

「今日もがんばってるな」って、“今”の娘を見られるようになった。
それだけで、だいぶ心が軽くなる。

あの頃の私は“毒親”だったかもしれない

正直に言うと、今でも怖いときがある。
この世界は、この子を受け入れてくれるのかな…って。

「親は強くないと」と思ってたけど、本当はずっと、自分の弱さをごまかしながらやってきた。

「この子のために」と言いながら、
実は自分の安心のために、娘をコントロールしようとしてたのかもしれない。

「身辺自立はできたほうがいい」
「カードをもっと使えるようにしないと」
「社会で生きるには、言葉の訓練を…」

そんな言葉を並べて、私は“正しい型”にはめようとしてた。
娘の気持ちよりも、「世間の目」が先に浮かんでいた。
「この子をちゃんと育ててるって思われたい」って、どこかで思ってた。

今ならわかる。
それって、娘を苦しめるだけだった。

完璧な親じゃない。でも…

私はたぶん、あの頃“毒親”だったと思う。
「この子のために」なんて言いながら、
“私が安心できるように”動いてくれる娘を求めていたのかもしれない。

まだ完璧な親にはなれてない。
たぶん、きっと一生なれない。

でも、昔よりもずっと思えるようになった。
「みーちゃんが笑ってくれたら、それだけでいいじゃん」って。

ABOUT ME
よかてん
はじめまして。「よかてん」と申します。 発語のない重度知的障がいを伴う自閉症の娘「みーちゃん」との日々をブログに記録しています。 発達がとてもゆっくりだった娘も、今では22歳になりました。 このブログでは、療育や生活の工夫、家族の関わりなど、実体験をもとに書いています。 同じような状況の方や、関心を持ってくださる方の参考になれば幸いです。 わたくしごとですが、2025年、シングルマザーになりました。 障がいがある娘を連れての離婚についても書いていきます。 ご意見・ご感想などございましたら、[お問い合わせフォーム]よりお気軽にご連絡ください。