奇声とドライブ、娘の声に応える毎日
自閉症の娘・みーちゃんは、感情が高ぶったり、感覚が不安定になったりすると、 突然声をあげることがある。それは「奇声」と呼ばれてしまうかもしれないけれど、 私にとっては、彼女が精いっぱい生きている証でもある。
そんなときはドライブや散歩が必要だ。 車に乗って、ただ静かに外の景色を見るだけで、みーちゃんの呼吸が落ち着く。 それがわかっているから、私は何度でもハンドルを握る。
自分の時間が取れない現実とイライラ
けれど―― その時間、私は仕事ができない。 進めたかった書き物も、考えたかったアイデアも、全部後回しになる。
みーちゃんは悪くない。 でも、娘中心の生活に飲み込まれそうになるとき、 私はイライラしたり、焦ったりしてしまう。 そしてそんな自分をまた責める。 そんな日が、何度もある。
眠れぬ夜と、3時間風呂の朝
昨夜もそうだった。 23時に布団に入ったはずのみーちゃんは、朝の5時まで眠れなかった。 トイレとベッドと階段を、何度も何度も行き来して、落ち着かない様子だった。
それでも8時には起きて、 朝食を終えるとすぐに35度のお風呂に入った。 汗が苦手なみーちゃんにとって、 お風呂は感覚を落ち着ける“安心の場”だ。
途中で様子を見に行くと、「バイバーイ」と追い出される。 私はその間に洗濯機を回し、台所を片づける。 気づけば、みーちゃんは3時間ずっと湯船にいた。
真夏は、こんな日が続く。
「母であること」と「自分であること」のあいだで
みーちゃんとの日々は、たしかに大変だ。 けれど、「母親だから当たり前」とも言いたくない。 私は、母であると同時に、私でもいたい。
そして今は、「それでも仕方ない」と思うことを自分に許したい。 罪悪感を抱えても、疲れても、 私はまた明日も、彼女の声に応えて生きていくのだと思う。