引っ越し準備で、少しずつ荷物の整理を進めている中――
久しぶりに出てきた、通園施設の頃の「連絡帳」に手が止まった。
なぜか捨てられず、ずっとアルバムと一緒に保管してきた一冊。
ページをめくると、あの頃の記憶が一気によみがえってくる。
障がい児施設に欠かせない「連絡帳」
障がい児・障がい者施設では、どこも「連絡帳」がある。
今通っている事業所にもあって、体温や家庭からの伝えたいことを毎日書いている。
みーちゃんが年少だった頃の連絡帳には、こんな内容を毎日記録していた。
- 自宅での朝と夕のメニュー(食べた量も)
- 健康状態と体温
- 日中のトイレ時間(大か小かも)
- 家庭からの連絡事項 などなど
昼食は給食だったので、先生がメニューと食べた量を記入してくれるスタイル。
驚くのが、休園日も夏休みも、毎日書くってこと。
日曜でも「今日の朝ごはん:ごはん・味噌汁・たまごやき」って書いてたなぁ。
当時、あんまりラーメンとか手抜きっぽいメニューは頻繁に書きにくかったな(笑)
先生は絶対そんなこと気にしてないと思うけど、「ちゃんと栄養とらせなきゃ」って、ちょっとプレッシャーになってたかも。
でも今思えば、それがいい意味での意識づけになってた気がする。
年少組だったみーちゃんの1年間を、振り返ると…
読み返してみると、「え、これほんとに毎日過ごしてたの私?」って思うくらい、濃すぎるエピソードばかり。
- 帰宅後すぐ全裸(オムツまで脱ぐから大惨事になることも…)
- 朝の号泣が日課
- 発熱でお休みも多め
- お風呂中に湯船で大便
- 駐車場のスロープが怖すぎて号泣(グルグルの立体がダメ)
- 車がバックするだけで号泣
- 押し入れにこもるようになり、中の布団を全部出して秘密基地化
- 他害行動も頻繁に
- 家の中で高いところを目指して登りたがる(タンスの上、冷蔵庫の上まで…!)
- 入園直後、みんなより発達が遅いことににショックを受けて、連絡帳でよく嘆いてた私
もうね、ふとした時に思ったよ。
「私……お猿さんと一緒に暮らしてたっけ?」(笑)
でも、ほんとにそうだったな。毎日がサバイバル。
だけど、こうして笑って振り返れるようになったのは、連絡帳という記録があったからかもしれない。
あの頃の記録が、今の私を支えてる
毎日びっしり書いてた連絡帳。
よく続けてたなぁ…と、我ながら思う。
でも、あれがあったからこそ気づけたこと、救われた瞬間もたくさんあった。
先生とのやりとり、みーちゃんの変化、そして親の私の揺れる気持ち。
何年経っても、あの一冊は手放せない。
「あの頃の私、がんばってたな」って、自分を認めてあげられる気がするから。
「こんな年少さんもいるんだ…!」
そんなふうに思ってもらえたら、それだけで救われる気がします。