「着たくない服」が増えていった日々
– 自閉症の娘が示す、記憶と感覚のこだわり –
娘・みーちゃんには、年齢を重ねるごとにさまざまな“こだわり”が出てくるようになった。
一般的には幼い頃から顕著に見られることも多いけれど、みーちゃんの場合、それがはっきりと表れてきたのは18歳を過ぎた頃だった。
「着たい服」ではなく、「着たくない服」
その中でも一番強く出たのが、「今日着る服」へのこだわり。
正確に言えば「着たい服」ではなく、「着たくない服」がどんどん増えていった。
たとえば、嫌なことがあった日に着ていた服。
支援学校を卒業して、最初に通い始めた生活介護事業所に着て行っていた服たち。
どれもこれも、「あの日の記憶」が染みついてしまっているのだろう。
その頃を境に、みーちゃんはそれらの服を全く受けつけなくなってしまった。
タンスの奥にしまわれた“記憶”
着る服がなくなってきたので、「今日はこれどう?」と以前まで普通に着ていた服を手渡してみた。
けれど、みーちゃんは何も言わずにそれをタンスの奥へ。
押し入れの、さらに奥深くへとグイッと押し込むようにしまっていたこともある。
ああ、そんなにイヤだったんだね。
視界に入るのも苦痛だったんだね。
気づくのが遅くて、ごめんね。
服・人・場所が記憶に強く結びつくみーちゃん
みーちゃんは、“場所”と“人”、そしてそのとき“着ていた服”がしっかりと記憶に結びついているタイプ。
「この服=あの嫌な日」という認識が強烈に残っているのだろう。
自分から選ばない娘の服選び
そんなみーちゃんの服選びは、なかなかに難しい。
一緒にお店に行っても、自分から「これが欲しい」とは言わない。
「どっちがいい?」と選択肢を提示しても、その場の気分で適当に選ぶだけで、結局ほとんどは着てくれなかった。
最近は、私がある程度選んだ服の中から、たまたま気に入ったものを着る…というスタイルに落ち着いている。
体重の変化と服選びの悩み
ただし、問題がひとつ。
コロナ禍で体重が20キロ増えてしまい、可愛い服がなかなか見つからない(涙)。
それでも、着られるサイズの中で少しでも“しっくりくる”服に出会えた日は、私のほうがうれしくなってしまう。
時間と安心で少しずつ前へ
「着たくない服」は、一年間押入れに収納、その後は私の普段着になる。
私が着た瞬間はその服を凝視しているけど、それも一瞬だけ。私が着る分には気にしていない様子。
長い時間をかけて、その服の記憶が薄まってきたのかもしれない。
ある日ふと、「これ、久しぶりに着てみる?」と何気なく差し出してみたら、
みーちゃん、すっと袖を通してくれた。
あっ……着た。
声に出さずに心の中でガッツポーズ。
何気ない瞬間だったけど、私にとっては大きなひとつの「トラウマ克服記念日」。
服にまつわるこだわりも、時間と安心の積み重ねで、少しずつ変化していく。
今日もみーちゃんは、自分のペースで前に進んでいる。