今、娘は22歳。
発語はなく、最重度の知的障がいと自閉症。
今まで私は毎日が必死だった。
眠れない夜、成長が見えづらい焦り…。
他の子と比べて落ち込んでは、「私の育て方が悪いのかな」と自分を責める日々だった。
今は少し気持ちに余裕ができて、過去を振り返ることもできるようになると、あの頃の私に言いたいことがたくさん出て来た。
1.「あなたはちゃんと頑張っているよ」
どんなに疲れていても、周りが見えなくなるほど余裕がなくても、それでもあなたは娘のことを見て、向き合おうとしていた。
うまくできない日があっても、それがダメな親ってことじゃない。
むしろ、どんな自分でも子どもと一緒にいようとしたことが、なにより大事だったんだ。
2.「“普通”の基準にこだわらなくていい」
発語がないとか、年齢相応のことができないとか、そういう“できる・できない”の物差しで測られる場面が多い。
だけど、あなたの娘はちゃんと生きていて、感じていて、少しずつでも自分なりのペースで世界と関わっている。
“普通”じゃない道も、その子にとっての立派な人生の道なんだと、今ならわかる。
3.「ひとりで背負いすぎないで」
あの頃の私は、“私ががんばらなきゃ”と思いすぎていた。
でも、しんどいときは誰かに頼ってよかった。
誰かに話すだけでも、涙を流すだけでも、ずいぶん心が軽くなる。
支援者や先生、同じ立場のお母さんたち、寄り添ってくれる人はいる。
4.「少しくらいなら大丈夫」は、大丈夫じゃなかったよ
熱もないし、咳もしてないし。
だからって、「今日はちょっと機嫌が悪いだけかな」「学校に行った方がリズムが崩れなくていいよね」って、そう思っていたよね。
でもね、それ、違ったよ。
みーちゃんは、学校に行くこと自体がしんどかったんだ。
集団の中にいるだけで疲れる。
何をしているのか分からなくて、不安になる。
発語がないし、意思疎通も難しいから「しんどい」が伝わりにくい。
でも、確かに毎日、無言で伝えていたんだよ。
あのとき、少しでも「おかしいな」って感じたなら、どうか休ませてあげて。
無理に登校させなくてよかったんだよ。
支援学校は、出席日数が少なくても留年しない。
むしろ、その子のペースに合わせて学ぶ場所なんだよ。
だから、「学校は行くのが当たり前」っていうスタンス、みーちゃんには必要なかった。
みーちゃんに必要だったのは、休む自由と「しんどいね」って寄り添う気持ちだった。
5.「未来は、想像より優しい」
子どもの将来を考えると、先が見えない、読めない不安で真っ暗だった。
でも、22歳になった娘は、相変わらず言葉はないけれど、好きなものがあって、安心できる居場所があって、笑顔で過ごす時間が増えた。
そして私は、あの頃よりも少しだけ、肩の力を抜けるようになった。
未来は“希望に満ちた”とは言わない。
でも、“希望を見つけられる力”は、私たちの中にちゃんとある。
子育ては、どんな子であっても「正解のない旅」だと思う。
過去の自分も、今の自分も、よくやってる。そう言ってあげたい。
あの頃の私に伝えたいことが、誰かの肩の荷を少しでも軽くできたら嬉しいな。
そして今、頑張っているあなたに心から伝えたい。
「だいじょうぶ。あなたはちゃんと子どもを愛してる。それだけで、もう十分。」