娘が3歳になり、発達が気になる子ども達が通う通園施設(発達が気になる子どもたちの幼稚園版)に行くことが決まった。
親子教室で知り合った人たち全員が通園することになって、心強かったのを覚えている。
みーちゃんが通った通園施設は、月の3分の1は親子登園がある。
でも他の日は一人で通園施設のバスに乗って通わないといけない。
大丈夫?
私の心配は予想通り。
ひとりでバスに乗る初日から大号泣。
結局この大号泣は2ヶ月ほど続いた。(先生ごめんなさい)
そして、やっと泣かなくなったと思ったら、娘に「他害」が見られるようになった。
最初は、先生の肩を噛んだことだった。
抱っこされて安心しているのかと思ったその瞬間、先生の肩にガブリ。
ちょうど親子登園の日、私がその場を目撃したので謝罪すると、先生は優しく「大丈夫ですよ」と言ってくれたけれど、私は胸の奥がズシンと重くなった。
噛む行為が続いたと思えば、次は隣に座っていたお友だちの腕をつねるようになった。
何の前触れもなく、急につねる。
お友だちが泣く。
みーちゃんはいつも先生の膝の上と言う特等席だった。
みーちゃんを膝の上に乗せていた先生ですら、止める隙がないくらい素早い動きで、ほんの一瞬で隣にいる人をつねる。
そしてみーちゃんは、何事もなかったような顔で、知らぬ顔をしている。
噛む、つねる。――そんな行動が日常になっていった。
なぜ噛むのか?
なぜつねるのか?
何がつらいのか?
何を伝えようとしているのか?
言葉で説明できなみーちゃんの心を、私は想像するしかなかった。
感覚が過敏なのかもしれない。
音が苦手なのかもしれない。
人が近づくと不安になるのかもしれない。
関わりたいけど、どうすればいいのかわからないのかもしれない。
でも、「かもしれない」ばかりで、確かな答えはわからなかった。
毎日、先生に謝り、お友だちのお母さんに謝り、そして家でひとりになったとき、泣きながらみーちゃんにも謝っていた。
「ごめんね。もっとちゃんとわかってあげられなくて」
「ごめんね。あなたのつらさを、ちゃんと代弁できなくて」
今、みーちゃんは22歳。
噛む行為は15歳で、つねる行為は20歳でなくなった。
では、なぜ彼女は“他害”をしていたのだろうか。
本人が言葉で説明できない以上、これは私たちの想像でしかない。
けれど、いくつか思い当たる理由がある。
・「何をしているのかが理解できない。じっとしているのが辛い。」
・「かまってほしい。」――実際、つねられた方の話によると、力を抜いて“ちゃんと”つねっていたそうだ。
・「嫌なことをされる。」
・「大きな声で泣き叫ぶ人が苦手。」
感覚の過敏さ、不安の強さ、自分の気持ちを伝えられないもどかしさ。
それらが重なったとき、彼女の行動は“他害”という形で現れていたのかもしれない。
誰かを傷つけたいという気持ちがあったわけではない。
ただ、自分の中で処理できないことがあふれてしまった・・・と思う。
そして、なぜ他害行為がなくなったのか。
みーちゃんが成長したのもあるけど、みーちゃんが過ごしやすい環境に整えて下さった支援者の方々の力が非常に大きいと思う。