未就園児親子教室から始まり、支援高等学校を卒業するまでの約15年間。
子どもに障がいがある親は、どうしても同じ学年・同じ境遇の保護者と距離が近くなる。
悩みを共有できて心強いこともあれば、理解してもらえずに胸が痛むこともあった。
励ましが一番苦しかった
同じ年に生まれていても、発達のスピードは本当にそれぞれ違う。
みーちゃんは同級生の中でも特にゆっくりで、周囲のママからはよくこう言われた。
「私の子ができるんだから、みーちゃんもできるよ」
きっと励まそうとしてくれていたのだと思う。
でも、その言葉が当時の私には一番辛かった。
「ちゃんと子育てしていないから発達しないんじゃない?」
そんなふうに責められているように感じてしまったから。
同じ境遇のはずなのに、全然わかってもらえない。
あのとき抱いた孤独感はいまでも鮮明に覚えている。
卒業後にやっと伝わったこと
高等支援学校を卒業して、同級生と同じ生活介護事業所に進んだものの、みーちゃんはすぐに続けられなかった。
別の事業所も勧めてもらったけれど、そこも合わずに離脱。
結局、通所ができなくなり、私自身も仕事を辞めざるを得なくなった。
そのときになってやっと、同級生ママたちも「みーちゃんには合う場所がなかなか見つからない」という現実を理解してくれた気がした。
“できる・できない”ではなく、“その子に合う環境があるかどうか”。
それを共有できた瞬間、初めて気持ちが少し楽になった。
ちょうどいい距離感
今は学校ではなく、それぞれの事業所や作業所で過ごしている。
だからこそ、お互いの子どものことは以前のようには見えない。
それが逆に、母親同士の距離感をちょうどよくしてくれた。
たまにマクドナルドで集まって、笑いながら話をする。
悩みがあれば親身になって聞いてくれる。
でも日常はそれぞれのペースを大切にして、必要以上に干渉しない。
──今のこの関係が、とても心地いい。
振り返って思うこと
障がい児を育てていると、同じ境遇だからこそわかり合える瞬間がある。
でも、同じ境遇であっても「完全にわかり合える」わけではないことも多い。
だからこそ、無理に分かり合おうとしすぎず、適度な距離を保ちながらつながっていく関係が、一番長く続くのかもしれない。
あなたには「同じ境遇だからこそ救われた言葉」や、逆に「刺さってしまった言葉」ありますか?