発語がないと聞くと、「何も伝わらないのでは」と思われることがあります。
でも、みーちゃんを見ていると、そう単純な話ではないと感じます。
みーちゃんは23歳。
重度知的障がいのある自閉症で、発語はありません。
言葉で気持ちを説明することはできません。
けれど、毎日の暮らしの中では、理解していることもたくさんあります。
その一方で、大人になった今でも難しいこと、見守りが必要なこともまだ多くあります。
今日は、発語なしの娘みーちゃんの「今」を書いてみます。
慣れた場所では、自分でできることもある
みーちゃんは、家の中、生活介護事業所、ショートステイ、祖母宅など、勝手を知っている場所であれば、自分でトイレに行きます。
家では、のどが渇けば自分で水をくんだり、冷蔵庫からお茶を出して飲んだりもします。
お菓子を勝手に開けることはありませんが、お鍋に残っている味噌汁をコップに入れて飲んでいることはあります。
こういう姿を見ると、言葉がなくても、日々の流れや生活のパターンはしっかりわかっているのだなと思います。
毎日使う言葉は理解して行動できている
みーちゃんは、日常の中で繰り返し使っている言葉をかなり理解しています。
「おふろ」
「ごはん」
「ねるよ」
「お着替えしよう」
こうした言葉をかけると、その言葉に合った行動をします。
「ねるよ」と言えば、スマホを定位置に置いて(充電も声掛けでできます)、自分でベッドに入ります。
「お茶いれて」「ティッシュとって」なども理解できます。
発語がないと、「言葉の理解もないのでは」と思われがちですが、そうではありません。
毎日使う言葉は、ちゃんと生活の中でつながっています。
できることがあっても、難しいことは残っている
ただ、理解できることと難しいことの差はかなりあります。
たとえば、数の理解は難しいです。
「3つとって」と言って、こちらが指で3を示しても、1つだけ渡してきます。
毎日の流れや決まった言葉はわかっていても、数のような抽象的な概念になると難しいようです。
このあたりは、大人になった今でも変わらない部分です。
生活できることが増えても、理解の凸凹はそのまま残っているのだと感じます。
機嫌や体調は、声や行動で伝えてくる
みーちゃんは発語がない代わりに、機嫌や体調が声や行動に出ます。
機嫌が良い時は、鼻歌が出ます。
反対に、調子が悪い時は、濁点のついた喃語が増えます。
「う゛ー」「あ゛ー」「ぎー」といった声が多くなります。
さらに、ストレスがたまったり、しんどかったりする時は、トイレにこもって、太ももなどに傷を作って出てくることがあります。
言葉で「しんどい」「つらい」と言えない分、こうしたサインをこちらが受け取らなければいけません。
話せないから何も伝わらないのではなく、別の形で出ているのだと思います。
生理や身の回りのことも、少しずつできるようになった
生理が始まった時は、ショーツに血がつくと、トイレの戸を開けて無言で知らせにきます。
何も言わなくても、「始まった」と伝えにきているのです。
ナプキンも、自分で交換できるようになりました。
ただし、正しい位置に装着できているかの見守りは必要です。
更衣も、全部ひとりで問題なくできるわけではありません。
服によっては前後がまだわかりにくく、「これが前」という目印が必要です。
そのため、トレーナーやTシャツは、バックプリントがあるものより、前面にだけ印があるものを選ぶようにしています。
ショーツも、前に小さなリボンがついているものを選ぶことが多いです。
何も目印がないと、逆に履いていることがよくあります。
形だけで前後を理解するのは難しいようで、服選びにも工夫が必要です。
食事にも、みーちゃんらしいこだわりがある
食事は、お箸やスプーンを使って食べます。
ただ、フォークは果物だけ、というこだわりがあります。
さらに家では、カトラリーセットを置くことにもこだわりがあります。
100均のカトラリーケースに、カラフルなスプーン4本、フォーク2本、ステンレスの大スプーン1本、小さなコップがワンセットで入っています。
どう見ても、ひとりだけフランス料理でも食べるのかな、という並びです(笑)
こういうこだわりも、みーちゃんらしさのひとつです。
周りから見れば不思議でも、本人の中ではちゃんと意味のある落ち着く形なのだと思います。
23年間、いつも一番ゆっくりだった
23年間、とにかくどこに所属していても、みーちゃんはいつも一番発達がゆっくりでした。
周りの子ができるようになることが、なかなかできない。
言葉も出ない。
理解にも偏りがある。
「私の育て方が悪いから?とずっと悩んでいました。
成長の仕方はひとりひとり違って当たり前――頭ではそうわかっていても、そこまで気持ちが追いつくにはずいぶん時間がかかりました。
みーちゃんのゆっくりさを、その子らしさとして受け止められるようになるまで、私の中でも長い時間が必要でした。
「私の育て方が悪いから?」ずっと悩んでいました。
成長の仕方はひとりひとり違って当たり前――そう思えるまでには、私の中でもかなり時間がかかりました。
学校にいる間は、どうしても同じ年の子たちと比べてしまいます。
比べたくなくても、毎日同じ集団の中で過ごしていると、みーちゃんのゆっくりさを強く感じる場面がたくさんありました。
卒業した今の方が、以前よりもそうしたことを気にしすぎず過ごせている気がします。
発語がないぶん、みーちゃんの笑顔には嘘がありません。
本当に楽しい時に笑っている、そのまっすぐな笑顔を見ると、私も嬉しくなります。
これからも、みーちゃんが笑って過ごせる時間を少しでも増やしていけたらと思っています。