みーちゃんは、重度の知的障がいを伴う自閉症がある。
だからといって、最初から特別支援学校一択だったわけではない。
小学校の進路を考える時、私たちが選んだのは「地域の小学校」だった。
教育委員会との面談では、もちろん支援学校を勧められた。
「地域の学校で何かあっても責任はとれません」と、念を押される場面もあった。
それでも、私の気持ちは揺るがなかった。
なぜ地域を選んだのか――その理由は、みーちゃんの存在を地域の人たちに知ってもらいたいという思いがあったから。
いずれ中学・高校では支援学校へ進む予定だった。
ということは、小学校の6年間を逃すと、地域とみーちゃんが関わる機会はほとんどなくなってしまう。
みーちゃんは、感情が高ぶると公園などで突然声を出してしまうことがある。
その姿を「知らない子」として見られれば、周囲の目はどうしても冷たくなりがちだ。
けれど、小学校で一緒に過ごした経験のある子たちが「みーちゃんだ」と思ってくれれば、たとえ声をかけてもらえなくても、温かいまなざしを向けてもらえるかもしれない。
また、万が一みーちゃんが迷子になってしまった時でも、地域の人が気づいてくれたり、声をかけてくれたりする安心感が生まれる。
そんな「みーちゃんを知ってもらえる環境」を作っておきたかった。
幸いにも、私たちが住む地域の小学校には、支援学級があり、サポート体制がとても充実していた。
教室は職員室のすぐ隣にあり、先生たちが気にかけやすい環境。
登校中にすれ違う先生たちが「おはよう!」と声をかけてくれたり、休み時間にはクラスの子どもたちがみーちゃんを誘って一緒に遊んでくれたりする。
その光景に、私は何度も心を打たれた。
もちろん不安はあった。
「もしどうしても慣れなかったら、その時は支援学校へ転校させよう」と心に決め、教育委員会にも伝えた。
近所に住む教育委員会の方も、「小学校は地域でいいと思う」と背中を押してくれたのが、最後のひと押しだった。
結果的に、みーちゃんは6年間、地域の小学校に通うことができた。
今も、その時の同級生と道で出会うと、笑顔で「みーちゃんや!」と声をかけてくれる子がいる。
成長していく中で、そんな地域のつながりに救われる瞬間が何度もあった。
この選択が「正しかったかどうか」は、正直わからない。
でも、地域の中でみーちゃんを知る人が増えたという事実。
それは、母として、ひとつの願いが叶った瞬間だったと思っている。