みーちゃんの日常

通園施設を振り返る(1)年少組/外の世界が怖い

通園施設に通うことになったみーちゃん。
送迎はバスで、自宅から徒歩1分の道まで迎えにきてくれる。

入園して最初の2週間は親子登園でした。
私も一緒にバスに乗り、園へ。そこまでは問題なし。
園について靴を脱いで教室へ(園では靴下で過ごします)。
みーちゃんは、ずっと私の膝の上でした。

出席確認の名前呼び、体操、リトミック遊び――全部膝の上。
今振り返るとわかります。
外の世界が、不安だったのだと思います。

外遊びになると脱走して一人で走り回る。
昼食の介助をしたあとは、私たち母親は休憩室で昼食。
母たち、みんな疲れていました。

子どもたちの成長も、それぞれ違いました。
言葉が話せてもパニックが長引く子、
発達年齢に遅れはないけれど強いこだわりをもつ子、
発語はないけれど絵カードで理解できる子。
本当に、一人ひとり違っていました。

それぞれに悩みがあって、やっとここで弱音や愚痴を吐けた。
午後からは、保護者に向けて先生から
療育手帳取得の説明や、市区町村の福祉サービスの案内がありました。


通園施設での午後のみーちゃん

私がいない午後、みーちゃんはどう過ごしているのか。
こっそり教室の窓の隅から覗いてみました。

  1. 教室を走り回っている
  2. 教室の隅で泣いている
  3. 先生の膝の上

だいたい、このどれかでした。

先生が前で授業をしている時は、必ず誰かの膝の上。
園児7人に対して先生4人。
みーちゃんは、ほぼマンツーマンで見てもらっていました。

園児7人の中で、ダントツで発達が遅く、介助が必要な子でした。


先生との関わりと支え

それでも先生たちは焦らず、「今日はここまでできたね」と毎日声をかけてくれました。
その一言に、どれだけ救われたかわかりません。

帰宅して連絡帳を読むと、そこにはみーちゃんの一日の行動が丁寧に書かれていました。
目が離せない子どもばかりの中で、それでも一人ひとりを見てくれている。
どんな日でも、決してネガティブな言葉は書かれていません。
そして、私たち保護者のことも必ずねぎらってくれました。
その一文が、どれほど心を軽くしてくれたかわかりません。


母としての気持ち

あの頃は、ただ「できないこと」が多い子だと思っていました。
でも本当は、“安心できる場所”をまだ見つけられていなかっただけ。
膝の上にいる時間も、走り回る時間も、
みーちゃんにとっては“生きる練習”だったのだと思います。

あの小さな背中が、ようやく外の世界に出る準備をしていた時間でした。

ちなみにみーちゃんはしまじろうが大好きで、通園で必要なものはほとんどしまじろうで揃えました。(22歳の今でも好きです)
キャラクターの力ってすごいですね。みーちゃんにとっては安心グッズ。


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ABOUT ME
よかてん
はじめまして。「よかてん」と申します。 発語のない重度知的障がいを伴う自閉症の娘「みーちゃん」との日々をブログに記録しています。区分認定4。 学校の中でも一番発達が遅かった娘も、今では22歳になりました。 このブログでは、療育や生活の工夫、家族の関わりなど、実体験をもとに書いています。 同じような状況の方や、関心を持ってくださる方の参考になれば幸いです。 わたくしごとですが、2025年、シングルマザーになりました。 障がいがある娘を連れての離婚についても書いていきます。 2025年から、一人暮らし要介護3の母の介護も本格的に始まりました。身体障害4級と認知症。 介護の記録も残していこうと思います。 ご意見・ご感想などございましたら、[お問い合わせフォーム]よりお気軽にご連絡ください。