【自閉症の就学】重度知的障がいの娘が地域の小学校へ入学した6年間。当時の選択と今だから言える”もう一つの選択肢”
「支援学校と地域の小学校、どちらがいいのか」
この問いに正解はありません。この記事では、発語なし・重度知的障がい自閉症のみーちゃんが地域の小学校に通った6年間を振り返り、当時の選択の背景・良かった面・今だから思うことを正直にまとめます。
地域の小学校を選んだ背景
みーちゃんが入学する年、ちょうど近くに新しい支援学校が開校する時期でした。教育委員会から「支援学校も検討してほしい」という提案がありました。しかし当時の私はすぐに受け入れることができませんでした。
地域で育ってほしいという強い願いがありました。長く暮らしてきた地域の中で、顔見知りの方々に見守られながら小学校生活を送ってほしいという思いが強かったのです。
新設の支援学校の情報がほとんどなかったことも理由の一つです。どんな先生がいるのか、どんな雰囲気の学校なのか、判断する材料が少なかった。
そして双子の姉の言葉。「みーちゃんと一緒に学校へ行きたい」という一言が、背中を強く押しました。
こうした思いを教育委員会に丁寧に伝え、最終的に地域の小学校への就学が認められました。
学校生活とみーちゃんの負担
地域小学校に通い始めたとはいえ、当時のみーちゃんの発達年齢は1歳半ほど。大勢の子どもの動き・予測できないスケジュールの切り替え・音や声や気配——こうした環境はみーちゃんにとって大きな負荷で、他害行動が増えた時期でもあります。
私自身も毎日が張りつめた状態で、精神的に追い詰められていきました。
地域小に通って良かったと感じた面
大変なことが多かった一方で、地域小学校だからこそ得られた良かった面も確かにありました。
子どもたちが本当に優しかったのです。廊下ですれ違うと「あっ、みーちゃん!」と声をかけてくれる。体育館では安全に配慮しながら距離を保って見守ってくれる。地域の子どもたちのあたたかさには、何度も救われました。
支援級が蚊帳の外にならない学校でもありました。行事には可能な範囲で参加させてもらえ、通常級との自然な交流をつくってくれていました。学校全体でみーちゃんを見守り穏やかに受け入れてくれる雰囲気は、地域の学校ならではのあたたかさでした。
支援級での学びと先生方のサポート
通常学級に参加できたのは朝の会・体育・音楽・図工・給食・終わりの会など一部の時間だけで、多くの時間は支援級で個別課題に取り組みました。
- 名前を書く練習
- 数字(1〜10)
- 五十音カードの理解
- 絵カードのマッチング
- パズル
先生方は根気よく毎日丁寧に教えてくださいました。1年生の終わりには名前を書けるようになり、五十音カードも理解し、数字も書けるようになりました。感謝の気持ちは今でも変わりません。
今の私なら、支援学校を選ぶかもしれない
当時は地域で育てたい気持ちが何より強く、その思いを大切にして地域小を選びました。
しかし今は、支援環境が整い支援学校の専門性も高まり、子どもが過ごしやすい環境が以前より明確になってきました。
- 支援学校の専門体制の充実
- 個別最適な学び
- 放課後デイサービスの充実
- 支援級・通常級双方の児童の負担が社会的に可視化されてきた
こうした時代の変化を踏まえると、今の私がもう一度同じ場面に立ったなら、きっと別の選択肢も見えると思います。
6年間の通学にあった価値
朝7時40分に家を出て、徒歩20分の道を手をつないで歩いた6年間。雨の日も雪の日も続けた通学は、みーちゃんにとっても、私にとっても大切な時間でした。
大変なことも多かったけれど、その中で少しずつ成長し、私自身も多くのことを学びました。支えてくださった先生方・地域の方々には本当に感謝しかありません。
まとめ
- 地域への思い・双子姉の言葉・情報不足という背景から地域小学校を選んだ
- 感覚刺激の多い環境は負担が大きく、他害行動が増えた時期もあった
- 地域の子どもたちのあたたかさと、孤立させない学校の姿勢に救われた
- 先生方のおかげで1年生の終わりには名前・数字・五十音カードが使えるようになった
- 今の支援環境の充実を踏まえると、支援学校という選択肢も見えてくると思う
- 当時の選択は、その時代の情報・環境・家庭事情の中での最善だったと今も思う
よかてんのひとりごと
6年間色々ありすぎて、ひとりでよく泣きました。
卒業式は、卒業生入場前から大号泣。色んな思いが込み上げてきて、お世話になった先生方に抱きついて、子どもみたいに「えーん」と声を出して号泣してしまいました。ハズカシ……。